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クローズアップ藝大 - 第二十一回 今村有策 大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻教授/副学長(国際連携担当)

連続コラム:クローズアップ藝大

連続コラム:クローズアップ藝大

第二十一回 今村有策 大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻教授/副学長(国際連携担当)

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両親を通じて中東とソウルに出会う

国谷今村さんは、若い人たちがもっと他者に出会い、多様な価値観にふれる機会を意識的に作らないといけないと強調されています。なぜそこまで強い思いを持っていらっしゃるのでしょう。

今村やはり他者との出会いが自分を発見させてくれますよね。磯崎アトリエでも国や文化圏の異なるスタッフと一緒に仕事をしていました。

国谷今村さんは帰国子女ではないのですか?

今村帰国子女ではないんですが、父親が海外で仕事をしていました。ちょうどオイルショックで日本の企業がオイルマネーを求めて中東に進出していった頃です。だから中学校後半から大学ぐらいまでは、僕にとっての外国は父親が駐在していた中東の国々だったんですよね。イランやイラク、レバノンの話をよく聞かされました。大学時代は両親がエジプトに住んでいたので、僕も遊びに行ったり。そのつながりで中東の人たちと今でもお付き合いがあります。
おかげ様でというか。普通の人って中東に対してハードルがあるみたいですが、僕の場合はないんです。

国谷そういう家庭環境が背景にあったのですね。

今村あとは、母親が日本の占領時代の京城、ソウルで生まれたというのもあるかもしれません。母からもソウル時代の話を聞かされました。

国谷終戦のときは大変でしたでしょう。

今村祖父は銀行の支店長をしていたので、攻撃の対象になるだろうというので着の身着のまま帰ってきたそうです。
そういうことをきっかけに僕も韓国の歴史に興味を持ったり、今でも韓国には近しい人がいっぱいいて、この間もソウルに学生を連れて行ってきました。両国間の問題に関してもフランクに話せる人がいるというのは、大変ありがたいです。

国谷日本の中ではタブー視されて語られないようなことも見聞きする機会があったのですね。

今村そうですね。母という存在を通して知ることができました。

国谷多様な価値観との出会いが身近なところでずっとあって、そのことが自己を発見していく重要な手がかりだとおっしゃっていますけれど、まさに原体験としてそれを実感されていた。

今村言われてみるとそうですね。確かに父や母の影響はあったと思います。
父は製薬会社に勤めていて、中東で新規事業を開拓していたそうです。そのフロンティアのスピリットは僕も受け継いでいると思います。

国谷リスクテイキングがスピリットになったわけですね。

今村1から100にするのってそんなにストラテジーは難しくない。でも、0を1にするのは一番難しい。周りは敵だらけですし、何もないところに何か作る必要性をみんなに理解してもらわなきゃいけないし、サポートもしてもらわなきゃいけない。何なら資金も使わなきゃいけないし、人も付けないといけない。本当にリスクテイクだと思うんですけれど、そこにリスクを上回る意義を見出せていることが大事だと思います。

他者と出会える場を作る

国谷特に日本の社会は同調圧力が強いから、0を1にするのは他の社会より大変だと思います。
今村さんはそういうところに風穴を開けたい、楔を打ちたいという強い思いで活動されてきました。今振り返ると、目指してきたことはどれぐらいできたでしょうか。

今村トーキョーワンダーサイトはそれなりにできたと思います。目指していたプラットフォームはできた。これは東京都の文化政策のときに、よく例えにしていたことなんですけれども、パリは文化の都だと言われます。でもエコール?ド?パリのアーティストを挙げると、シャガールはロシア人、モディリアニはイタリア人、ピカソはスペイン人です。実はいろいろな外国人が活躍していたんだけど、その空気を作っていたのがパリなんです。東京もパリのようにフリーな創作の場になってアーティストを育てていくことが、日本が世界に貢献することにつながるし、東京がすごく豊かな都市になっていく。
藝大もそうですね。アートって、どうしても先生を頂点としたピラミッドがあるので、その価値判断から逃げられない。本当はいろいろな見方があっていいのに、どうしても閉じちゃう。僕はよくグーとパーで例えるんですけど、グーは閉じて中に力が入って、パーは開く。そのどちらも共存していかなきゃいけないんだけど、藝大は放っておくとグーの方に行ってしまうんです。だから意図的にパーの方を、さっき言ったみたいな空地とか隙間を作らないといけない。藝大にいるのは数年なので、何をどこまでできたと言えるほどのものはないですけれど、いる間にきっかけを作っておきたいと思っています。来年度いっぱいで退任なので。

国谷今、「グー」とおっしゃいましたが、藝大は保守的なので、学生はここで学んでも他者と出会う能力を身につけられていない、そういう教育的な開発ができていないということでしょうか。

今村そうですね。まあ、きっかけがあるだけでもいいので、まずは他者と出会える場所を作れるといいと思っています。
これからは多文化共生時代だとか、人口減少だから外国人に来てもらうとか政府も言っているけれど、まだまだ一般の日本人は外国人に対してレッテルを貼って排除しているように感じます。だから、大学時代に1人1人の人間として出会うことがすごく大事だと思います。

国谷今は東南アジアのアートがものすごくエネルギッシュに湧き上がっている一方で、東京はアジアのアートのハブになりえていないことに、今村先生はフラストレーションを抱えているようにお見受けしました。どうしてもっとアジアのアートの熱気といったものを東京が取り込めないのだろうかと。世界的な視点から見て、いまアジアの人々に湧き上がっている熱は、これまで支配的だったヨーロッパの価値観とどう違うのでしょうか。

今村日本も1960年頃はまだ戦後で、新しい東京を作っていこうという未来的な発想があったわけですが、それと同じ状況が今の東南アジアにある。今の日本は先に進んでしまって超高齢化社会に入り、新しいビジョンを作るエネルギーがあまりないけれど、カンボジアもインドネシアも、これからインフラや社会システムを作ろうとしていて、すごくエネルギッシュに動いています。そんなエネルギーがふつふつと沸いているところで見たり感じたりすることがすごく大事だし、欧米中心の価値観ではないアジアの中で生まれる価値観を、これからもっと発信していかなきゃいけないと思います。
これも磯崎さんの言葉なんですけれど、日本って放っておくと洗練へ向かうんです。

国谷研ぎ澄まされていく。

今村そう。ダイナミズムではなく洗練に向かう。中国や朝鮮から文化を輸入して、それを洗練する能力は高いんですれど、ダイナミックに何かを生み出す力が低いというのが、日本の伝統的な問題だと。だから未来の社会を作っていくためには、東南アジアのダイナミズムに触れて、何が大事なのか何をしなければならないのか、考えていかないといけない。
あとは、僕たちは隣人のことを知らなすぎる。東南アジアがどんな歴史を歩んできたのか、どんな社会構造を持っているのか、みんな知らないですよね。でも知らないことに入り込んでいけるのがアートの力だと思うので、学生たちにはそういう出会いをしてもらいたいと思います。
僕はアジアというのは星座だと思っていて。星座って人間の妄想、幻想ですよね。フィジカルには星と何の関係もない。でもそこに牡羊座があって大熊座があると、人間がイマジネーションで星座を描いた。アジアもそういうふうに、僕たちがそこに星座を描いていけばいいんじゃないかと思って。岡倉天心は「Asia is One=アジアはひとつ」と言いましたけれど、そうではなくて、いろんな星座があるのがアジアなんだと。その中で藝大はある意味でカタリストというか触媒のような、そんな存在になれればいいかなと思います。

自由でフカフカの大地を

国谷アーティストの育成には他者と出会いが大事だと思っていらした今村さんが2018年に藝大の中に入ってみて、何が課題だと感じましたか? そして今後、藝大にどのようになってほしいと思いますか?

今村そうですね…僕は「土」を大事にしたいと思っているので、そこから何が生まれるかは思い描かないんです。土を作れば花はおのずと咲く。その花はどんな花になろうがいいんです。
今、インドネシアのアートコレクティブのルアンルパを藝大に招いているんですが、僕が彼らを連れてきたのはなぜか? 彼らはプロセスそのものを大事にしていて、たくさん対話をするんですけれど、そこから何が生まれようが構わないんです。
僕たちはどうしても近代的な発想に囚われているので、目標があってそれを達成して成果を上げるという形になってしまう。でも大学って、特に芸術大学はもっとフカフカの大地みたいなところで、何をやっても構わない自由な場所じゃないといけないんです。でもそれは全部がそうなれと言っているわけじゃない。そういう隙間とか空き地がどこかにあればいい。そういうものを作っておけば、学生たちはどんどん育っていきます。
国際化というとどうしても英語で授業をするとか外国から来てもらうという発想になりますが、そういうことじゃなくて、世界には出会えるチャンスがいっぱいある。だから出会おうということなんです。
先日も、Shared Campusで台湾に行ってきた学生が、興奮して僕に話してくれました。「先生、びっくりしました! ああいう文化があるんですね!」って。台湾はすごくトレラントというか許容度が高いので、日本の占領時代のものやマレーの文化も残されていて、壊したりせず活用する。ものすごく輻輳化したミックスした文化があるんですね。そうやって、1年間に1人か2人かもしれないけれど、学生は出会ってくれているんです。次のステップとしては、ぜひ教員の交換ができたらいいと思っています。
きっかけをいっぱい作っていけば、おのずと芽は出てくるでしょう。藝大には歴史がありますけれども、ひとつの価値観にとらわれないで、多様な価値観が育まれる場になっていけばいいと思います。

アートは生きる技術である

国谷藝大は他の大学にはないような学びができる場があったり、日本の古典芸能から現代アートまで幅広く網羅していて、そういう意味ではコスモポリタンです。

今村もちろんもちろん。

国谷でもやはりその中でも、隙間とか空き地とか、他者との出会いの場など欠けている部分がある。

今村そうですね。日本の伝統的な工芸を学びたいと海外からたくさんの学生が来ているんですが、技法を学ぶだけじゃなくて、今の世界が抱えている課題だとか社会的な問題について、学生同士が話せるといいと思うんです。もうちょっとチャンネルが変わればそういうこともできるでしょう。
国谷さんが推進されているSDGsも、SDGsのゴールの中にアートの役割はないけれど、アートの中からSDGsを超える次の設定を僕らが提案することもできる。そんな大学になっていけたらいいなと思います。

国谷Shared Campusを通したいろいろなプログラムで、もっと世界に向けた問いかけがやれるのではないか、SDGsの次のステージでアートを通して世界の見直しが進められたらとも、おしゃっていて、私は勇気付けられました。
今村さんのなかでは、アートは、「生きる力」「生きる技術」であると。

今村ちょっと日比野さんとオーバーラップしているところがありますね。外国で講演するときは「Technology of Life=生きる技術である」って言っています。近代主義的な進歩主義的な意味の技術ではなくて、僕らは生きるために様々な技術を使っていて、その中の一つ、すごく大事な核になる技術がアートだと思います。それは世界を理解することだし、コミュニケーションでもあるし、いろんなことがある。だから、絵の描き方とかお椀の作り方を学ぶのがアートの学校ではない。それを通じてどうやって生きるかを学ぶのがアートの学校だと思うんです。
例えば、土から焼き物を作るという人間の原始的な営みが何千年も続いている。そのこと自体がすごい価値だと思うし、マスプロダクションに対抗した人間の創作の価値を自分たちで生み出している。その活動をずっと続けていくことはすごく大事だと思いますし、その中から見えてくる自然と人とのかかわりって、SDGsにつながっていますよね。
去年の3月に、インドとオーストラリアの先生と学生を連れて、取手で陶芸の三上先生(工芸科教授)の授業を受けたんです。そこで土にさわって、世界を土から眺めるということをやってみた。アートを通じてなら、そういう大きな視点で世界を見ることができると思うんです。土をさわったり植物を育てたり、そういった経験がないと、SDGsといっても情報とか知識だけになってしまう。それをどうやって生きることと結びつけられるかですよね。
工芸科の人はみんなでご飯を作って自分たちが作った器を使って一緒に食べるし、年に一回、登り窯で火を焚いて1週間かけて焼成する。自分の作品や土が社会とどう絡んでいるかを考えさせるんです。SDGsとも本当はつながっているはずなのに、何でそこに壁があるんだろうか、みたいに。

国谷どちらかというと違うフェーズのテクノロジーが入ってきて、それで解決しようとする。

今村藝大は伝統的な芸術大学だからこそ、そこかしこに生きる技術がある。日本画もそうです。砕いた岩を動物の膠と混ぜて使うんですけれども、僕らは単純に絵の美しさとか高貴さを見るのではなくて、動物の命をもらって抽出した膠を使ってどうやって岩を定着させるのかを学ぶ。それだけでも、自分と生き物とか、自分と岩の関係とか、いろいろな見方ができると思うんです。実は藝大はそういうことの宝庫でもある。ですからそうした面から自分たちの環境、生きる世界を考え直せばいいのかな、と思っています。


【対談後記】

インタビューを貫くテーマはいつしか国際化というキーワードから“土づくり”、人を育てる豊かな土壌、となっていきました。2時間近くに及んだインタビューには20代から30代にかけて今村さんが出会い、深く対話する機会を得た人物とのエピソードがちりばめられていました。建築家の磯崎新さんや荒川修作さん、東京都知事を務めた石原慎太郎さん、考古学者の吉村作治さんなどなど。今村先生はこうした多様な価値観や文化を持つ人々との出会いを通して自分自身の土壌が豊かになったことを確信されていました。それだけに、国際化を進めるなかで藝大で学ぶ学生たちが多様な価値観を持つ人々と出会い、豊かな土壌を育てることができるエコシステムを作りたい、その強い想いが伝わってきました。


【プロフィール】

今村 有策
大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻教授/副学長(国際連携担当) 1959年福岡県生まれ。1983年日本大学大学院理工学研究科博士前期課程建築学専攻修了。 アートやデザイン、建築などさまざまなクリエイティブな分野のプロデュース、キュレーションを行う。国内外の若手クリエーターの人材育成、国際文化交流、領域横断で実験的なプロジェクトを推進するアートセンターであったトーキョーワンダーサイトの創設に携わり、2001年の創設から2017年まで館長を務める。2001年から2013年まで東京都の文化行政について知事に助言?進言を行なう東京都参与も兼務し、アーツカウンシル東京の創設をはじめ、東京の新たな芸術文化基盤作りに取り組む。東京オリンピック招致においては文化プログラム作成に中心的な役割を果たす。建築を学び、磯崎新アトリエ勤務を経て、1991-1993コロンビア大学建築学部客員研究員。武蔵野美術大学非常勤講師、PMQ(香港)インターナショナル?アドバイザー、浜松市鴨江アートセンターシニアアドバイザー。これまでに世界文化の家(ベルリン)プログラム?アドバイザリー?ボード、テンスタ?コンストハル?アドバイザー(ストックホルム)、国連大学アドバイザー、名古屋芸術大学特別客員教授などを歴任。2018年より現職。


撮影:新津保建秀