クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。
第六回は、大学院映像研究科映画専攻教授で、映画監督、脚本家として活躍されている黒沢清先生。『回路』(2000)でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を、『トウキョウソナタ』(2008)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞等を受賞されるなど、国内外から高い評価を受けています。インタビューは最新作『旅のおわり世界のはじまり』がロカルノ映画祭でクロージング上映された极速体育直播,足球比分直播元年8月、映像研究科の教室にて行われました。
【はじめに】
黒沢先生との対談は横浜の馬車道駅の出口からすぐの重厚感ある藝大の校舎で行いました。横浜市の「歴史的建造物」の認定を受けている3階建ての建物は、昔は富士銀行だったそうで、機材保管場所として使用されている部屋には分厚い扉の金庫が残っています。入口からすぐの天井の高いスペースにはセットが組まれていました。この場所で黒沢先生が監督した『トウキョウソナタ』のラストシーンも撮られたとのこと。
映画専攻の入学定員は32人。ここでは映画研究ではなく映画制作技術者の養成を目指していて学生全員が制作に携わっています。創作に特化した大学である藝大で、黒沢先生は2005年の映像研究科設置当初から教壇に立たれています。現役の映画監督がどのような想いで学生たちと向き合っているのか伺いたいと思いました。
国谷
こういう教室(小視聴覚室)で試写や授業をするのですか。
黒沢
僕の場合は基本のパターンとしては、既成の映画(DVD)を一本観てもらいます。隣の大視聴覚室の大きなスクリーンで観てもらって、観終わったあとこちらに移動して、小さなスクリーンが出るので、今観た作品を部分的に観ます。「ここはこうなっているんじゃないか」とか「ここはこういう意図でこうしたんじゃないか」とか、分析みたいなことをする感じです。学生たちはいろんな領域、監督だとか撮影、録音、編集といった学生で、ほぼここはいっぱいになりますね。まあ3、40人。それが基本ですね。説明して、だいたい時間いっぱい終わりです。質問する余裕もない。もちろんどうしても聞きたい人は後で個人的に聞いてって感じです。
国谷
最近の映画で、黒沢先生が学生たちと議論したいと思うような作品はありますか?
黒沢
最近のもの…例えば、今年の春頃に上映されていたクリント?イーストウッド監督?主演の『運び屋』かな。
国谷
クリント?イーストウッド監督。作曲もされますし、素晴らしい方ですよね。
黒沢
主演で監督ですからね。特別な選ばれた人にしかできない。日本では北野武さんですよね。演劇やミュージシャンなら作者本人が出てくることはありますが、映画では稀有なケースです。人前に自分の肉体や声をさらして、それが価値になる。特別な才能のある人にしかできないことです。人間年を取ってくると、ある一つのものをずっと深めていくタイプの方が割と多くなってくるような気がします。でもイーストウッドは、次何するかまったく予想がつきません。ありとあらゆるものをやり尽くそうとしている感じが羨ましいですね。
国谷
黒沢先生も多彩です。
黒沢
そういう在り方に憧れているっていうのもありますけれど、あまり自分のテーマとかスタイルとかは決めたくないんですね。いろんなことをやりたい。「次何をやりたいですか」とよく聞かれますが、一番分かりやすい答えは、「これまでやったことのないことがやりたい」です。
国谷
黒沢先生は、映画はずっと危うい状態だとおっしゃっています。今はNetflixなどの動画配信サービスがあって、その作品がアカデミー賞を獲るようになったり、クラウドファンディングで制作したり、ドキュメンタリー作品も以前より劇場公開されるようになりました。一方でディズニー作品も元気です。
黒沢
世界のあちこちで色々な事が起きていますので、一言では言えない状況ですね。
「映画が危うい」というのも、映画を映画館で観るシステムがなくなってしまう危機は何十年も前からあって僕の若い頃からテレビがありましたし。映画館がなくなるんじゃないかと言われて何十年です。
Netflixとか、ネット上で観られるものが沢山出てはいるのですが、今のところぎりぎり「映画は、映画館で暗い中、皆で大きなスクリーンで観るものだよね」という夢がある。そういう夢が残っている限りでは映画は続いていくと考えています。理想形は映画館で上映だという感覚。そういう感覚すら知らない世代が出てくると、本当に「映画が危うい」と思います。
国谷
日本で映画を制作する環境はどういう状況ですか。監督として作りたいものが作れなかったりしますか。
黒沢
かなり危ういぎりぎりの所です。簡単に言いますと、日本映画でいわゆる経済的にお金を稼げるのは、アニメを除けば年間10本位です。一方、撮られている物は500~600本。つまり、映画の会社の収益からいくと、10本以外はリストラ対象なわけです。そうなると、僕を含めて優秀な技術者も失業です。何年か続くと技術もなくなるでしょう。一本の映画を作ることは大変なことで、実験をしながら積み重なっていくから映画は続いている。それが10本でいいと言われたら、その段階で日本映画は終わりますよね。
国谷
今は映画館、DVD、ネット配信など、ある意味では視聴の機会が拡大してきている。もしかしたら77億人の世界の人に観てもらえるチャンスも広がっているのではないか。日本のアニメーションは世界中で観られていますし、もっと楽観的になってもいいのではと思いましたが。
黒沢
メディアを通じて作品が世界に広がっていけば、悪いことは何一つないのですが。海外に行くと若い人たちが、「あなたの映画全部観ています。大ファンです」と言ってくれるんです。「え? どうやって観たんですか? あなたの地域では公開していないはずだけど」と言うと、「いや、YouTubeで全部観られますから」って。つまり海賊版なんです。「全部観てます」って言う彼には全く罪悪感はない。僕は心の中では、「あなたそれ犯罪です」と思いながら、「ありがとう」って言います。本当に観たい人が観てくれたんです。こんなうれしいことはない。でも僕は一銭も儲からないし、かかった経費も回収できない。そんなことも含めて、まぁ辛いですけれども、それが現実です。僕も別に貧困にあえいで餓死するまで至っていないですし(笑)。
国谷
黒沢先生は立教大学在学中から8ミリフィルムで制作を始められて、卒業後に有名な監督の助監督になられ、1983年に商業映画デビューをされた。ただ、その頃の映画界は大きな映画会社が倒産したりして、昔からあった撮影所システム、人材育成システムがどんどんなくなって、ピンク映画が収益の柱になるような時代。先生も撮られていますが、ちょうどテレビの勢いが強まる逆風の中、映画界を生き抜いていらっしゃいました。
黒沢
1950年代、60年代の日本映画の撮影所システムには、目を見張るものがありました。世界史上の傑作が日本で撮られていて、監督だけでなく、スタッフたち、俳優も脇役に至るまで、世界的にすごいものを作っているという意識もなく作っている。そういう過去の撮影所時代の遺産があって僕は助けられています。監督のやりたいことを可能な限りハイレベルに実現してくれるシステムですね。ピンク映画みたいなものでもそうですし、Vシネマの世界でも、そうです。監督が言うなら「おもしろいですね。やりましょう」と言ってくれる。それは本当に芸術的だと思いました。芸術という言葉が相応しいか分からないですけど。
「これをやったら客が喜ぶ」とか、「それやったら儲かる」とかのレベルではなく、「それはすごく有意義なものだ。映画にとって正しいことだ」という価値観が、みんなの中にあるんですね。たとえ儲からなくても日本映画が作られて、なんとかそこでいいものができるのではないかと頑張る土壌が今も続いています。
国谷
皆さんの映画への確固たる、強い誇りを感じます。黒沢先生自身が逆風の中でも映画にこだわる情熱の部分、こだわり続ける核にあるものってなんですか?
黒沢
若い頃から映画をたくさん観てきて、いろんな国で、すごい映画が山のようにあると知っているので、いつかそれに追いつきたい。何とか少しでも追いつけるような作品を撮ることはできないのだろうか。その想いが、いまだに続いています。
それと、個人的なことで言えば、立教大学で蓮實重彦先生の授業を受けて、強烈な影響を受けました。作る、観る、しゃべる、考える、書く、どんな作業も全部一貫して、「映画は一生かけて付き合うに値する」と強烈に蓮實さんから叩きこまれました。僕は幸い「映画を作る」を続けられていますが、作る以外でもいいし、評論してもいいし、「まず映画を観る」ですね。映画は、若い頃に学んで卒業するものではなく、死ぬまで続けることなのだと教えられました。
国谷
ものすごい火を灯したのですね。蓮實さんは。
黒沢
僕が大学生のころ、蓮實さんは無名でした。たまたま映画の授業だから出たんです。それは本当に偶然です。ラッキーでした。最初は100人いた学生が、最後は10人になっていった。そうなってくると、残った10人が、「我々は選ばれた。蓮實さんの言葉を理解できるのは我々だけだ」となる。「蓮實さんの言葉を理解できる数少ない我々は、この言葉を世間に広めなければならない」という使命を負うわけですね。ほとんど宗教に近い強烈な啓示を体験しました。その言葉を広めるために今日まで僕は活動している(笑)。蓮實先生がこのインタビューをご覧になって、そうじゃないんだよと言われるかもしれませんが(笑)。
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